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【 4 】
ぜんぶの風呂を制覇して、チェックアウトまであと一時間。
カフェで、モーニングサービスのコーヒーを飲みながら、Kはこういった。

「眠そうだな」
「そんなことないよ。よく眠れた」
「この後、どこに行く」
温泉に入ることがメインだったので、旅館を出た後のことをあまり考えていなかった。近くに梅林があったが、時期は終わっている。ここらへんは桜も早咲きなので、ほとんど散っていた。寄ろうと思っていた公園は、あいにく休みだという。
僕はため息まじりに、
「立ち寄り湯、行ってみようか」
「これから新しくタオルを濡らすのは、どうもな」
「じゃあ、帰る?」
「そうだな」
Kはガイドブックを広げた。
「キリヤがよければ、海へ行こうか」
「ここから? 遠いだろ?」
「駅まで戻れば、シーパラダイスまでバス一本でいけるらしい。あわてて帰る必要は、ないんだろう?」
そんな子どもっぽいところへ、という言葉を、僕はのみこんだ。
そこまでいけば、少なくとも昼食をとるまでは一緒にいられる。
男子高校生二人がはしゃぎに行くところでもないかもしれないが、まだ寮母さんにお土産も買ってない。
「そうだね。いってみようか」
* * * * * * *
バスの発車を待つ間、すっかり眠くなってきた。
噛み殺しきれない生あくびをみて、Kは笑った。
「二十分以上かかるらしいし、山道だから、キリヤは寝ていろよ」
「でも」
「なにか本でも持っているなら、ひまつぶしに借りるが」
僕はほとんど着替えしか入っていない鞄を開けた。
「今日は、三浦しをんと池澤夏樹しか持ってないよ。俗っぽいだろ」
Kは二冊とも手にとった。
「どっちも小説論か。キリヤらしいな」
バスは走り出した。本当に、道はつづら折りというやつで、アップダウンもはげしい。
乗り物酔いしないよう、僕はKの言葉に甘えて目を閉じた。時々それでも目がさめて、Kの方をこっそりうかがってみたが、彼は行儀よく二冊とも膝の上にのせていて、めくることすらしていなかった。
潮風に吹かれると、急に元気がでてきた。
子どもっぽいと思っていたイルカのショウも、みていて飽きない。
カメラは得意じゃないけど、とりあえずシャッターを切ったりした。
遅い昼食をとるためにレストランに入ると、ふとKがたずねてきた。
「ところで、どうして中伊豆温泉で泊まりにしたんだ? キリヤなら、海辺の宿を選ぶと思っていたが」
僕は駿河湾で養殖しているという鯛を口に運びながら、
「先生、生魚が苦手なんだって。それで、自動的に山の宿になったんだ」
「刺身が食えないとは、おごった舌だな」
「そんなことないよ。僕だって偏食だし」
そう答えながら、はっとした。
Kがここへ連れてきたのは、僕が山より海が好きだと知ってたからか。
バスで寝かせたのも、顔色が悪かったから?
身体が触れあわなくとも、Kのまなざしは、僕に直接触れていた。声も優しく、
「もうすぐ閉園だな。土産を買ったら、帰るか」
僕は素直にうなずいた。
「うん」
よかったんだ、今回の旅行はこれで。
春めいた気持ちのままに暴走しないで。
そう、あわてなくても、いいはずだ。
僕もKに、まなざしで触れていよう。
* * * * *
途中の駅で、別れることにした。
寮まで送ってこられても、それはそれで恥ずかしいし。
Kが乗る電車の方が先にきて、改札前で僕は立ち止まった。
「次は五月かな。また、連絡する」
「ああ。またな」
Kはくるりと背を向けると、ためらわずホームへの階段に向かった。
その姿が消えるまで見送って、僕も自分の行くべきホームに身体の向きをかえた。
そのとたん、涙がでてきた。
あわててハンカチで押さえて、深呼吸した。
こんなところで泣きだしたら、みんな変に思うじゃないか。
泣きはらした顔で帰ったら、寮母さんになんていわれるか。
そう思って必死にこらえたけれど。
ひとりになって緊張がゆるむと、それから何日も涙ぐむことになった。
さびしかった。
どうしていいかわからないぐらい、さびしくて。
撮った写真を現像して、僕はメモを添えてKに送った。
「本当に楽しかった。次に会えるの、楽しみにしてる」
それ以上の言葉は、どうしても書けなくて――。
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2007.04.01 up
copyright SHINICHIRO KIRIYA 2007.
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