『そんなつもりじゃなかった』


【 1 】

最初から、そんなつもりじゃなかった。
だから、どうすればいいか、わからなかったんだ。

* * * * * * *

中学の頃から月に一度、学校の外で英語を教わっている。
その先生が「たまには勉強会も合宿形式にしようか」と声をかけてくれた。「桐谷君の療養もかねて、三月に温泉で一泊というのはどうかな。初心者でも大丈夫な教材をつかうから、友達を誘ってもかまわないよ」と。
断る理由はなかった。
旅費と宿泊費は、こづかいで出せる範囲だ。
先生には英語以外のことでもお世話になってる。今回も甘えることにした。
その時、Kも誘おうと思いついたのは、家では長風呂だときいたことがあったからだ。
英語の勉強はともかく、温泉は好きだろう。二月に会った時「もし、そこらへんが忙しくなかったら、行かないか」ときいてみた。
「考えておこう」といわれ、その後で「十九日ならいい」と手紙が来た。
その時の僕は、あまり深いことは考えていなかった。
保護者つきで遠足に行くのと、たいして変わらない話だったから。

* * * * * * *

高校生活の初日から三ヶ月、僕はKの隣に座っていた。
いまどき、小学生だってそんな単純な理由で友達になったりしないけど、僕は最初からKに魅かれていた。
よく焼けた肌と大きな瞳とハッタリがかった口調のせいで、正面から見るKは愛嬌たっぷりに見える。だが、鼻筋のとおったその横顔は、ギリシャ彫刻みたいに端正だ。背筋もいつも伸びている。水泳部のせいか、肩幅がひろい。その逆三角形を描く上半身のせいで、小柄でも頼もしい感じがする。
いつでもどこでも寝られるらしく、授業中でもすうっと目を閉じてしまう。ただ、絶対に姿勢を崩さないし、寝息も静かで、あてられて慌てて目を覚ますなんてみっともない場面は、一度も見なかった。さすがにいつも寝てる科目は、成績もふるわなかったらしいけど、それでも僕より頭はいいし、数学はよく教えてもらった。六月あたりから僕が授業についていけるようになったのは、ほとんどKのおかげだ。公立とはいえ進学校、お互いをライバル視してさぐりあうクラスになじめなかった僕を、さりげなくとけこませてくれたのもKだ。くだらない話をしても、いつも朗らかに笑ってくれるKを好きになったのは、そんなに不自然な話でもなかったはずだ。
だから、ルノワールが描くような美少女のクラスメートとKがつきあいだした時も、最初は「へえ」と思っただけだった。
だが、彼女がこのつきあいに、あまり乗り気でないようなことをもらした時、僕は反射的に「それならKをゆずってくれないか」と口走りそうになっていた。
放課後の化学準備室。
その時はなぜか、二人きりで。
もちろん、口には出さなかった。
だけど、たぶん顔に出ていた。
はっきり、こういわれたから。
「桐谷君は、Kが好きなのね」
「単にちょっと、心配なだけだよ」
彼女はため息をついた。
「そうね。Kが桐谷君をかばってるように見えるけど、実際は反対なのかもね」
「そんなこと、ないよ」
すきとおるような頬に微笑みを浮かべて、彼女は準備室を出ていった。
「心配すること、ないからね。Kは、私にお姉さんの面影を見てるだけ」
あ、という叫びを、僕はのみこんだ。
たしかに、Kが“女なんて”と呟く時は、姉の話だ。
「あんな女が、こんなに早く結婚が決まると思わなかった」と吐き捨てるようにいったこともある。
つまりそれは、軽蔑しているんじゃなく、むしろその逆――。
だけど、Kは自覚してるんだろうか。
身代わりに心をうつそうとしてることを。
いや、していても、してなくても、どうでもいいことだ。
別にそれは、卑怯じゃない。
頭のいい彼女が、Kを幸せにしてくれるなら、事態は円満解決だ。
僕は黙々と勉強しながら、二人の行く末を見守ってればいい。
Kが笑っていられるなら、それを見守るのは楽しい。
西洋風な顔だちの二人は、お似合いだ。
そう、思っていた。

夏が終わる頃、事件は思いもよらない形で起こった。
H高校にも、変なヤツが何人かいた。僕は考えなしだから、そういう連中のばかげた行動を見ると「君はまちがってる」「うっとおしい」とそのまま口に出した。
そういう僕も、ばかなのはわかってる。賢い人間は、最初から愚者をさける。何をいっても相手を変えられないことを、よくわかっているからだ。だけど僕は、いわずにいられない。そして敵をつくってしまう。だから「えらぶってる」と思われていたのかもしれない。高校に入ってからの知り合いは、中学までの僕――親が大嫌いな、顔色の悪い子ども――を知らないから。だから“たいして頭も良くないくせに、親の威光をかさにきてる、キザなお坊ちゃん”と見られても、それは仕方ないと思っていた。
だけど、口論になって、斬りつけられるとまでは想像しなかった。
だってそこまで頭の悪い奴が、県内有数の進学校に入れるなんて、さ。
「キリヤ!」
自分なりに、よけたつもりだった。
ただ、ちゃんと学ランを着込んでなかったせいで、胸が横に長く切れた。
教師達がかけよってきて、向こうを数人がかりで取り押さた。
Kは地面にしりもちをついた僕を、急いで止血してくれた。刃は肉の浅いところを裂いただけで、肋骨まで達してはいなかった。むしろ傷は、縫われた後の方が痛んだ。だからその時、ショックはうけていても、Kの体温に溺れて、むしろその腕の中で安らいでもいた。
あとでわかったことだけど、相手は土建屋の息子で、僕の親に仕事を取り上げられたことがあったそうだ。最初からそういう目で見られていた上に、僕から圧力をかけられたと思ったから、あんな行動に出たらしい。傷害事件ってことで、向こうはそのまま学校をやめていったが、こちらも退院後、「いくら進学率が高いとはいえ、公立校だとこういうことがあるからな」と、家からすこし離れた、私立の男子校に転校させられた。
僕が寮の部屋におさまって、最初にぼんやり考えたことは。
これで、Kが彼女とつきあってるところ、見なくてすむんだな――。

* * * * * * *

誰かを好きになったと思う時、僕は心を点検する。
自問自答だ。
Kについても、おさらいしてみた。
「僕はKが好きか?」「好きだよ」
「Kの何が好きだ?」「何っていわれても」
「Kのそばにいたいか?」「一緒にいると楽しいからね」
「Kにどうして欲しいんだ?」「今までどおり、時々つきあってくれたらいいよ」
「くちびるを重ねたいと思うか?」「Kが、ゆるしてくれるなら」
「身体が熱を帯びた時、Kのことを考えたことがあるか?」「ないといったら嘘になる」
「抱きしめるより先のことは想像できるか?」「頼むから今はさせないでくれ」
「自分から行くことしか考えてないだろう?」「ないけど」
「もし、Kから、受け身であることを求められたら?」「ありえないから」
「もしもの話だよ」「……Kだったら、それでもいい」
「Kはこの気持ちに気づいていると思うか?」「僕は顔に出るから」
「なら、なぜつきあってくれてる?」「今のところ、実害はないからだろ」
「本当に、それだけか?」「頼りないから、心配してくれてるだけだよ」
我ながら、ばかばかしいと思う。
学校が別になったからできる、思考の遊びだ。
そういえば、あれは誰の詩だったか、それとも格言だったか。
“ろうそくの炎は人の一吹きで消えるが、森の火事は風で勢いがます”
たいしたことのない恋というのは会わなければさめるもの、だが思いが強ければ、離れたことで更に強まるもの、という意味だ。
当然僕は、前者だと思っていた。
毎日あわないからこそ、いずれすべて、美しい思い出にできる。
ただ、それだけのことだと。
たまに会えれば楽しい。
それで充分だ、と。

* * * * * * *

何かが狂いはじめたのは、三月初めのことだった。
「桐谷君、私の都合で申し訳ないんだが、どうするね?」
先生いわく、急に家族の具合が悪くなって、のんびり温泉に行くどころじゃなくなったらしい。いつもどおりの勉強会はできるが、君はどうしたいか、ときかれたら「じゃあ、一泊はキャンセルですね」と答えるしかないはずだった。
ところが、先生はこう続けた。
「もし桐谷君がいいなら、中伊豆温泉には、気晴らしに行っておいで」
「え?」
「たまには一人になりたいだろう。友達にも声をかけたんじゃないのかい」
「ええ、まあ」
「人数は減っても、キャンセルはしないといえば、旅館も喜ぶ。今回は私のせいで休むんだから、月謝はいらない。宿代も少しだすよ」
「いえ、そこまで甘えられません」
「いいんだよ。中伊豆の老舗旅館で、風呂はぜんぶ温泉だ。ゆっくりつかって、清潔な和室で休むといい」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
だけど、勉強会じゃないなら、と他の生徒は全員キャンセルしてしまった。
僕はKに電話した。
「二人で行くことになるけど、どうする?」
Kの声は、いつもどおり明るかった。
「かまわない。英語の勉強がないなら、その方が楽しい。予定どおりに行こう」
受話器を握りしめたまま、本気なのか、と思った。
僕の気持ちに、気づいてないのか。
おんなじ部屋に泊まるんだってこと、忘れてないか。
まさか「かまわない」のは、僕に何をされても、ってことじゃないよな。
いくらお姉さんが結婚して、彼女にふられた後だからって、ヤケになってるんじゃないだろうな?

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2007.04.01 up
copyright SHINICHIRO KIRIYA 2007.