【 2 】

待ち合わせは、旅館にいちばん近い駅にした。
まだ、お互い授業のある平日だったから、おおまかな待ち合わせ時間だけ決めて。
ただ、三島の駅から目的地までは、電車で一本だ。
Kも同じ列車にのるだろう、と思いながら、僕は四両編成のこじんまりした車両に乗り込んだ。
伊豆箱根鉄道

中をひととおり見回してみるが、彼らしい姿はない。
地元の高校生が、談笑しているだけだ。
そういえば久しく、女子生徒と話してない自分に気づいた。
Kみたいに「女なんて」とは僕はいわない、思わない。どうせ男だって「男なんて」だ。
だのに視線は、女子生徒のミニスカートから離れる。
だってもし、Kがどこかで見てたら。

約束の時間より、十五分以上はやく着いてしまった。
改札の前でふりかえると、やはり同じ電車の後部車両に乗っていたらしいKが、こちらにやってきた。
片手をあげ、いつもの朗らかな声で、
「やあ」
「久しぶり」
Kは笑って、
「二週間前に会ったばかりじゃないか」
「そうだけど、あれは偶然だしね。ところで、これからどうする? 観光する? ちょっと寒いけど、ここらへん、歩いたりとか」
まじめくさった顔で、Kは答えた。
「腹ごしらえをすませたら、旅館の風呂に入る」
「いきなり?」
「キリヤは湯治に来たんだろう。入らなくてどうする」

* * * * * * *

そんなわけで、はやいうちに旅館にチェックインした。
子ども二人の客に、宿は何もいわなかった。
大人びた雰囲気があるので、コート姿のKが大学生にでも見えたか。高校生でも、男同士で春休みなら、問題ないということか。それとももっと単純に、最初は先生の名で部屋を押さえてあったからか。
とても大きな旅館で、いくつもの建物が、長い廊下で結ばれていた。
僕らは昭和初期に建てられた棟の三階、川べりの角部屋に通された。
Kが宿帳を書かされた。どっちが誘ったのか、ほんとうにわからない。
二人きりに緊張している自分がおかしく思えるほど、Kは普段どおりだった。
だいたい、由緒ある建築物だろうが、ここは観光地のど真ん中だ。二カ所ある窓から、誰でも中を見ることができそうだった。何か怪しいことがしたいなら、昼間から不自然にカーテンを寄せなければいけないだろう。
Kはさっそく、仲居さんがもってきた浴衣を調べながら、
「さあ、着替えて風呂に入ろうか」
「もう?」
「時間で男女の入れる時間が切りかわるんだろう。さっさと入らないと、入れない風呂があるじゃないか」
その嬉しそうな顔を見て悟った。Kは心底、風呂好きなのだと。
僕はなおさら安心して、窓のカーテンをひいた。
「じゃあ、とりあえず、この旅館のメイン風呂から入ろうか」
丹前に手をのばし、羽織ってするりと帯を締めた。

檜の柱が高い天井を支えている風呂には、人影がなかった。
洗い場の隅が脱衣場になっていて、並んで服を脱ぎながら、
「貸し切りだね。時間が早いからかな」
「平日だからな」
Kも嬉しそうだったが、僕がすっかり脱いだ後、ふと真顔になった。
「どうしたの」
Kの視線が、僕の傷跡にすいついている。それは予想しないでもなかったから、僕は笑顔でこたえた。
「平気だよ。痛みもほとんどないし、あの時のことは夢にも見ない」
「そうか」
Kは小さく呟くように、
「……よかった、それなら」
その言葉が、僕の背筋を甘く走り抜けた。
身体の反応をタオルで隠して、Kと微妙に距離をとりながら、ていねいにかけ湯をして、湯船につかった。
大きなガラス窓の外は、まだ明るい。
桂川の水をひいたという流れを泳ぐ鯉が、温泉の暖かさを慕ってか、風呂のはめこみ窓に次々あいさつにくる。
ひどく不思議な感じがした。
いつもならまだ学校にいる時間なのに、Kとのんびり、大きな窓のある風呂で身体をのばしてる。
背徳感に似たものにひたりつつ、僕は湯を楽しんだ。
温泉が痛みにきいているかどうかは、わからない。
だけど、いつものようにたわいない話をしているうち、身体がゆるんできた。
家から離れたことで、今までより自由に、楽になったはずだった。
新しい学校の友達は、みんな優しい。
だけど、何かが足りなかった。
それが今、満たされている。
「K」
「うん」
「旅館の外にも、檜の風呂の立ち寄り湯があるよ。あと、川べりに足湯も」
「じゃあ、みやげもの屋をひやかして、余裕があったらいってみるか」
「旅館の人、何時に出入りしてもいいっていってたし、夕飯たべに出た後とか?」
「足湯は浴衣の方が入りやすいだろうが、丹前姿のまま歩き回るには、ちと寒いな」
山から吹き下ろしてくる風のせいで、伊豆とはいえ、東京と同じぐらい寒いんですよ、と仲居さんがいっていた。
Kの瞳は楽しげに輝いている。温泉とはいえ、入りすぎるのはかえって身体に悪いということも忘れて、僕は肩まで湯につかりながら、
「じゃあ、足湯は明るいうちがいいか。露天風呂はどうする? 明日にとっとくか」
「朝食の時間からチェックアウトまで、どれぐらい余裕があるかだな」
「ちょっとした、温泉探検隊になりそうだね」
「敷地は二千五百坪とかいってたな。探索だけで時間がつぶせそうだ」
「そういえばさっき、テレビカメラ、入ってきてたよね」
「旅番組にしては、静かだったな」
「火サスだったりして」
Kは笑った。
「舞台としては悪くないが、密室殺人には向かないだろうな。部屋の鍵、みたろう」
「ねじこみ式の鍵とか、木の板を滑らして閉めるドアとか、初めてみたよ。古くに建てられた棟は、もっと旧式なのかな」
「ウォシュレットがついてるぐらいだ、要所は改造されてるんじゃないか」
「そうだね」
Kは、湯気がぬけていく高い天井をあおぎながら、
「まあ、大正時代のガラスを押しやぶって入る強盗もいないんだろう。どのみち、鍵なんてものは、一種のまじないみたいなものだ」
「かけてあっても、金庫ごともってかれたらアウトだしね。最新のホテルでフロントに預けてたって、なくなる時はあるらしいよ。海外じゃなくても」
「まあ、帰りの切符は買ってあるし、宿代は引き落としもできるんだろう? 高校生の男二人をねらう泥棒がいたとしても、なんとかなるさ」
「まあね」
Kは立ち上がった。
「とりあえず、あがるか」
「え、もういいの?」
「もう、一時間つかったからな」
「なんでわかる?」
「家では毎日、二時間はいってる。その半分ぐらいはあたたまった」
「二時間? 風呂でなにしてるのさ」
「出たり入ったり、本を読んだり」
「そんなに入ってたら、のぼせちゃうだろ」
「大丈夫だ。居眠りしか、したことがない」
「寝てるうちにお湯がさめて、風邪ひかないのか」
「それはある」
「だめじゃないか」
「身体が冷えたら入りなおせばいい。ただ、初心者は、あまり無理をしないことだ」
「初心者ってなんだよ!」
脱衣場に戻って時計を見ると、本当に一時間たっていた。
何者だ、K。
「キリヤが不注意なだけだ。太陽の動きをみていれば、誰だって一時間たったかどうかぐらい、わかるさ」
僕の驚きを見すかしたように、Kは笑った。

だけどこの日、外は曇っていた。

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2007.04.01 up
copyright SHINICHIRO KIRIYA 2007.